──“イタイ”を抱えた10年と、“It’s my turn”な今
Creepy Nutsの「中学12年生」と「中学22年生」は、
中学生のような精神性・視点・葛藤を持ちながらも、対照的なフェーズに立つ“俺”の姿を描いた対になる楽曲です。
- 12年生: まだ“イタイ”自分を肯定しきれない若者の叫び
- 22年生: “イタさ”を武器に世界を制した言葉の王者の自画像
同じ“中学”というメタファーを用いつつ、
圧倒的な成長と一貫した芯を両立させている点が、この2曲の最大の魅力です。
🔁 共通点と変化:中学という“精神的居場所”の捉え方
項目 | 中学12年生 | 中学22年生 |
---|---|---|
キーワード | 内弁慶/中二病/イタイ/劣等感 | 外弁慶/実績/成功/挑発 |
自意識 | 青春に取り残された“俺” | あの頃のままで世界を制した“俺” |
メイン視点 | ネガティブで不器用な自己像 | 成功者の視点から“あの頃”を見返す |
結論 | イタくて結構/等身大の肯定 | イタさを超えて“レジェンド化” |
モチーフ | 中学=未熟なままの自分 | 中学=出発点であり誇り |
🎒 中学12年生|“俺、まだ青い春を待ってる”
あれから10年経ってます
俺は青い春をまだ待ってます
時計はそこで止まってます
社会と自分との間にある“距離”や“違和感”。
それに対して**「青い春」を未だに夢見てる自分**を、Creepy Nutsは馬鹿にせずラップします。
- モテなかった過去
- ネピアに詰まった性衝動
- 「ミラノ風ドリア」がユートピアだった青春
すべてを自己嘲笑×ラップのリズムで昇華することで、
「イタイ」ことを“恥”ではなく“表現の原動力”として見せているのです。
🎤 中学22年生|“俺、音楽の成績1やけど、ビルボード1位やで”
音楽の成績1やけど
ビルボードで1位を取る人生
ここが本作最大のカウンターパンチ。
中学時代には“劣等生”だった俺が、世界の音楽チャートで1位を取るという、
“痛み”を“勲章”に変えたラインです。
そして、それを
「漫画のプロットならボツなってる/あまりにもベタ過ぎて」
とまで言い切る自信。
- 成績は1
- 奨学金=借金
- 家は実家
- だけどPayは一括で
まさに、逆転の物語を地で行くR-指定の現在地が、この1行に凝縮されています。
🌍 精神年齢は中学生、だけどビルボード1位
対比ポイント | 中学12年生 | 中学22年生 |
---|---|---|
音楽と自分の距離 | 音楽が“逃げ場”であり“武器”でもある | 音楽が“誇り”であり“世界を変えた証明” |
成績と現実 | “音楽の授業”じゃ認められない | “世界の音楽市場”では1位を取った |
自分への目線 | イタいけど健康/チェケラッチョで生きる | イタさも抱えたまま、世界を旅してる |
成功の形 | まだ夢の中で足掻いてる | 成績1でも「勝てる」ことを証明した現実主義 |
🔚 まとめ|イタイは青春の呪いか? それとも人生の誇りか?
Creepy Nutsの「中学12年生」と「中学22年生」は、
**“大人になれなかったやつ”と“そのまま大人になったやつ”**の2人の会話のようでもあります。
- 前者は、イタさを抱えながらそれでも進もうとする不器用な自画像
- 後者は、そのイタさを引き連れながら、世界に爪痕を刻むラッパーの宣言
つまり「中学22年生」は、「中学12年生」の10年後のアンサーであり、
誰かにとっての“もしも”を、“現実”に変えた男たちの物語です。
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