Creepy Nutsの「ビリケン」は、**大阪・通天閣で有名な“ビリケンさん”**をモチーフにしながら、
彼ら自身の人生観やラッパーとしての覚悟をラップで表現した楽曲です。
一見ポップで軽快なビートとは裏腹に、
歌詞には**「運に頼らず、自分の足で立つ」という強烈な意志**が込められています。
■ ビリケン=幸運の象徴…でも“触ったら願いが叶う”だけじゃない
“ビリケンさん”は、通天閣に鎮座する**「足の裏を触ると幸運が訪れる」**とされる神様。
この象徴を、Creepy Nutsは次のようにラップします:
幸運の神様 足の裏に御利益があるってことは
俺のこの足元が 何かの役に立つってことやろ?
ここには、“人に運を与える側”としての自覚と、
自らの人生を“神頼み”で終わらせない姿勢が垣間見えます。
■ 「幸運の神様」という皮肉と反骨
ビリケンみたく笑ってるけど その実ただの置物
触られてもなーんも感じひん
むしろ痒いねん
この部分では、偶像化されることへの違和感や、表面的な期待への皮肉が強く表現されています。
自分を“ありがたがる”人たちに対して、「俺はただの人間やで」と言い切るCreepy Nuts。
それでも、
願いを叶えるのはアンタの仕事や
と、リスナー自身に行動を促す構成になっています。
■ 信じるのは“努力”より“続けること”
努力は報われるって誰が決めた?
続けりゃ何かになるって何の保証?
これまで多くの経験と苦労を重ねてきたCreepy Nutsだからこそ、
この疑問は“リアル”に響きます。
しかし、ここで否定して終わらないのが彼らの真骨頂。
「保証なんてなくても、やるしかない」という泥臭い信念が、逆説的に背中を押してくれます。
■ 足元を見つめて、地に立つことの強さ
タイトルにある“ビリケン”は、ただのユーモアや語呂合わせではありません。
“足の裏”というキーワードを通して、
派手な見た目ではなく、どこにも逃げずに“足元”から人生を支えていく覚悟が表現されています。
この足で、地に立ち、この足で道を進む。
誰に願われなくても、誰かの願いになる。
それがこの曲の本質です。
📝 まとめ|“幸運の神様”は、自分の中にいる
「ビリケン」は、Creepy Nutsがこれまでのキャリアと実感を詰め込んだ
自己肯定と行動のラップアンセムです。
願うのではなく、動く。
崇められるのではなく、響かせる。
ビリケンのように笑いながら、泥だらけの足で音楽を続けることの強さが、ここにあります。
📝 引用
※本記事はCreepy Nuts『ビリケン』(Sony Music Labels, 2024年)の歌詞を参考に構成された解説記事です。
歌詞・音源の著作権はアーティストおよび関係各社に帰属します。
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