カテゴリー: 歌詞解説

  • 【歌詞解説】Creepy Nuts「Get Higher」|過去と現在が交差する、等身大の成長記録

    Creepy Nutsの「get higher」は、2024年リリースのアルバム『アンサンブル・プレイ』に収録された一曲であり、
    過去の自分と現在の自分、そして理想と現実の“接続点”を描いた、自己回顧型アンセムとも言える作品です。

    音楽に出会ったあの日から、現在のステージに至るまで。
    この曲は、一人の人間の成長と矛盾を、圧倒的な臨場感で描き出しています。


    🎯 20年前に描いた理想を超えて

    20年前頭に描いた
    理想の自分よりもデッカいな

    曲の冒頭は、自己認識のアップデート。
    10代の頃に夢見た自分像すらも、現実の自分が超えてしまったという、感慨のこもった一節です。

    しかしそれと同時に、過去と現在のギャップに戸惑うような感情も読み取れます。


    🛠 “夢”は更新されていくもの

    将来の夢は医者とかほざいた
    本当にやりたかったのは特殊メイクアップ

    このラインは、曖昧な自己認識から始まった人生を象徴しています。
    当初抱いた夢は形式的なもので、本当に求めていたものは別にあった。

    それを見つけたのが「音楽」だったのです。

    歪なまんま 剥き出しのままカマせって
    声がして

    “ありのままでいい”という音楽との出会いは、
    当時の自分にとって救いと解放だったことが強調されています。


    💬 言葉が人生を変えた

    言葉のメスが切り開いた景色
    脳天にダンクされたフローが medicine

    この比喩的表現は、リリックの力が精神的な癒しになったことを示しています。
    音楽が医療のように作用した──そんなラッパーとしての原体験が、リアルな言葉で語られます。

    また、現実の過酷さ(貧乏、家庭環境)と、それでも諦めなかった「言葉への情熱」も深く描写されています。


    🏆 成功の代償と、現在の“幸せ”

    有名になってった 人権失ってった
    口座は満って 心湯いた

    成功と引き換えに何かを失ってきたという実感も、率直に描かれています。
    お金・名声を得ても、心が軽くなるわけではない──そんな等身大の苦悩も正直に語られています。

    彼女の苗字が俺と同じになった
    ガキのまま親父になった

    そして終盤には、家族ができたこと、人生のフェーズが変わったことへの静かな幸福感が描かれます。


    🕊 “一人じゃない”という救い

    一人じゃ何一つ出来ないや
    でも数万人と get higher

    最終的にたどり着くのは、仲間やファンとの一体感
    一人では無力でも、音楽を通じて数万人とつながることができる──そんな肯定感と感謝が込められたラストです。


    📝 まとめ|“get higher”は人生のライブそのもの

    Creepy Nuts「get higher」は、
    迷いながらも進み続けた人生を振り返り、
    支えてくれた人たちへの感謝と共に歌い上げるアンセムです。

    • 理想を超えてしまった現在
    • 苦しみも幸福も背負ってきた等身大の姿
    • 一人ではなく“数万人”と共に高みへ

    過去の自分へ、そして同じように迷う誰かへ。
    この曲は、“人生そのものがステージ”であることを力強く伝えてくれます。

    🔖 引用

    本記事はCreepy Nuts「エマニエル」の歌詞(Sony Music Labels, 2024年)をもとに構成した非公式の解釈記事です。
    歌詞・音源の著作権はアーティストおよび関係各社に帰属します。

  • 【歌詞解説】Creepy Nuts「エマニエル」|中毒と快楽の果てで言葉を吐く、“堕ちる”美学

    Creepy Nutsの「エマニエル」は、
    表面的には扇情的なワードが並ぶ楽曲ながら、
    その本質は、表現者としての中毒性、創作の快楽と破滅の境界にあります。

    ヒップホップというジャンルの持つ暴力性・官能性・リアリティを、
    “ニンフォマニアック”=過剰な欲望になぞらえながら描き出す1曲です。


    🌀 エマニエル=言葉に溺れる表現者の象徴

    君ニンフォマニアック
    Feel you like エマニエル elleelle

    この「君」は、恋人や女性ではなく、
    むしろ「言葉や創作そのもの」の比喩と捉えるべきでしょう。

    R-指定が執着し、求め、そして支配される対象。
    つまりそれは“創作欲求”そのものを擬人化したものです。


    🔫 開幕から炸裂する「言葉の銃弾」

    鳩に喰らわした豆鉄砲くらいの勢いやな
    AK-47 や散弾銃

    ここではラップ=銃撃にたとえられ、
    「spit(ラップを吐く)」という行為が、暴力的な衝動として描かれます。

    しかしその威力は、リスナーへの攻撃ではなく、
    “言葉を吐きたい衝動”の暴走としての描写に近いものです。


    💭 “堕ちていく”ことこそ創作のエネルギー

    Red Bull 入れ覚醒し
    月光浴 連絡フル無視

    Z級映画、夜更かし、無視されるLINE。
    どれも人間的な堕落の象徴でありながら、
    それが創作と快感をつなぐトリガーにもなっているという矛盾。

    この曲には、「壊れていくことの中に創作の源がある」という
    Creepy Nutsならではの危うさと美学が込められています。


    👁「お許し」を乞う、狂気と神秘の境界線

    アクセスするアカシックレコード
    あ やべ これはち切れそう もう

    “アカシックレコード”=全宇宙の記録・叡智にアクセスする描写。
    ここでは、創作に憑かれたR-指定が、
    インスピレーションの臨界点に達する様子が描かれています。


    📝 まとめ|言葉に愛され、堕ちることを受け入れた1曲

    「エマニエル」は、Creepy Nutsの中でも特に
    “言葉”と“衝動”の関係性にフォーカスした異色作です。

    • 破壊衝動すら創作の一部にしてしまう危うさ
    • 人間的に堕ちていく姿すら美しく見せる構成
    • 過剰な表現=愛と中毒の結果

    すべてが混ざり合いながら、言葉を吐き出すことの快感が結晶化された一曲です。


    🔖 引用

    本記事はCreepy Nuts「エマニエル」の歌詞(Sony Music Labels, 2024年)をもとに構成した非公式の解釈記事です。
    歌詞・音源の著作権はアーティストおよび関係各社に帰属します。

  • 【歌詞解説】Creepy Nuts「Bling-Bang-Bang-Born」|“生身”のままで突き抜ける、異次元の自己肯定

    アニメ『マッシュル-MASHLE- 神覚者候補選抜試験編』のOPとして起用され、世界中に“中毒者”を生んだCreepy Nutsの「Bling-Bang-Bang-Born」。

    サビのフレーズはもちろん、スピード感とリズム感あふれる歌詞に耳が離せない本楽曲ですが、
    その歌詞にはCreepy Nutsならではの強烈な自負心・アイロニー・そして等身大の肯定感が込められています。


    🧠 冒頭から「バグ」「チート」だらけの自己紹介

    チート、gifted、荒技、wanted
    禁忌、禁じ手、明らか盲点

    この出だしは、いわば「普通の枠組みに収まらない自分たち」の宣言です。
    “チート”や“反則”といったワードを並べることで、既存の評価軸が通用しない才能を象徴的に描いています。

    バグで、まぐれ、認めねーゼッテー
    マジで?コレおま・・・全部生身で?

    周囲からの評価(「あれはまぐれ」「運がいいだけ」)に対し、
    これは“生身”でやってる」と、地力での実力を強調します。


    💪 “生身”というキーワードに込めたリアリティ

    it’s生身 it’s生身 yeah yeah yeah yeah
    生身のまま行けるとこまで

    “生身”という言葉が何度も出てきますが、これは作られたキャラや虚像ではなく、素の自分で戦っているという姿勢の象徴です。

    「キャラを作らず、加工もせず、等身大でここまで来た」
    そんなCreepy Nutsの姿が強くにじむフレーズです。


    🎯 自分にしかできない立ち位置で勝つ

    実力を発揮し切る前に 相手の方がバックれてくらしい
    上がり切るハードル very happy

    Creepy Nutsのバトル的な強さを象徴するライン。
    自分たちが本気を出す前に、他が勝手に逃げていく。

    しかもそれを「happy」と笑いながら受け止めるあたりに、
    余裕すら感じさせる自己肯定があります。


    🏅 努力と運とセンスの結晶

    俺、パッと見出来ない事ばっかりだけど very happy
    恵まれてる家族友達(happy)
    皆俺に任せとけば良い(Bang Bang Bang)

    成功の裏側にある自分の弱さ・環境への感謝も描きつつ、
    最終的には「俺に任せろ」と自信満々に言い切るのが彼ららしさ。

    人に頼らず、自分の道を切り拓いてきた確信がこの歌詞に込められています。


    🎤 生き様=Bling & BangしてBornしてきた意味

    俺のままで Bling して Bang して Bang する為に Born して来たニッポン

    このラインはまさにタイトルの“Bling-Bang-Bang-Born”を回収するテーマの核心

    「光り(bling)、爆発し(bang)、生まれてきた(born)」
    それは単なるキャッチーな韻ではなく、
    生まれてきた理由が、自分らしく生き抜くこと」という哲学的な意味を持ちます。


    📝 まとめ|“普通じゃない”を武器に変えるアンセム

    「Bling-Bang-Bang-Born」は、
    “バグっているほどの才能”と
    “地に足のついたリアル”が共存した、
    Creepy Nutsの代名詞ともいえる自己紹介楽曲です。

    • 加工や脚色のない“生身”で戦う
    • 正攻法でなくても突き抜けていく
    • 周囲の評価ではなく、自分の芯を信じる

    そうしたメッセージに共感し、
    “自分もこのままでいいんだ”と思えるリスナーも多いのではないでしょうか。


    🔖 引用

    本記事はCreepy Nuts「Bling-Bang-Bang-Born」(Sony Music Labels, 2024年)の歌詞をもとに構成した非公式の解釈記事です。
    歌詞・音源の著作権はアーティストおよび関係各社に帰属します。

  • 【歌詞解説】Creepy Nuts「ちゅだい」|“ちゅーでい”の裏にあるリアルな本音と本能

    Creepy Nutsの「ちゅだい」は、
    表面的には軽快でリズミカルなパーティーチューンのようでいて、
    実は非常に多層的なテーマを持つ楽曲です。

    タイトルの「ちゅだい」は、“チューニング”と“主題”、“ちゅー(キス)”や“ちゅうだい(中台)”など、
    多義的な言葉遊びが込められたワードであり、
    現代の性欲・本能・情報過多な社会のカオスを巧みに表現しています。


    🎧 「ちゅでいちゅでいちゅーでい」=“合ってしまう”感覚

    ちゅでいちゅでいちゅーでい / 勝手に合ってまうチューニング
    この印象的なサビは、「気づけば同調している」「無意識に染まっている」
    という感覚をユーモラスに表しています。

    都市生活、SNS、夜の欲望…。
    “無自覚に”流されていく自分と、そこから抜け出せない滑稽さを感じさせます。


    💻 性と快楽のリアル描写

    FANZAプレミアム会員 / P-hub善治カミン

    ここで取り上げられているのは、現代人が簡単にアクセスできる性の世界。
    誰もがタブー視しながらも、心のどこかで“共犯者”であることに気づいている。

    だからこそCreepy Nutsはあえて言葉に出して笑い飛ばす
    それは自己肯定でも自嘲でもなく、「事実」をユーモアで包む知性なのです。


    🎥 都市と夜、快楽と虚無の交差点

    深夜のムービー 新宿バルトの9 / その前に二郎に並んで待機
    三角座りで泣いてるべっぴん / 視界の端にキャッチ

    新宿という街のリアル、二郎ラーメンの文化、映画館、そして“夜の住人”たち。
    描かれる情景は日常と非日常の間で揺れています。

    娘を泣かした場合 / リーアム・ニーソンに速攻で変身

    映画『96時間』の引用からもわかるように、
    ポップカルチャーと現実を行き来する視点がこの曲の魅力です。


    👠 欲望と装備、“アニマル”に戻るとき

    人のちゅだいを笑うなっちゅうに アニマルに戻る俺らの装備

    ここで言う「ちゅだい」は、欲望の主題=人間の本能的な側面を指しているように感じられます。
    夜になれば装備を変えて、獣のように本能で動く。
    それは滑稽でもあり、誰もが持っている普遍性でもあります。

    全欲望マシマシ

    “マシマシ”はラーメン二郎の用語。
    ここでは、欲望を隠さず、むしろ増幅して生きることの肯定に聞こえます。


    📝 まとめ|“ちゅだい”は、あなたの中にもある

    Creepy Nutsの「ちゅだい」は、
    卑猥なようでいて哲学的。
    バカっぽく見えて、社会の本質を突く。

    それは“ちゅーでい”なテンションで生きること。
    欲望もダサさも引き受けて、笑いながら突き抜けること。

    この楽曲は、そんな**“ちゅだい=本音の主題”**をラップで描き切った、
    現代人のためのカオス・アンセムです。


    📝 引用

    ※本記事はCreepy Nuts『ちゅだい』(Sony Music Labels, 2024年)の歌詞を参考に構成された解説記事です。
    歌詞・音源の著作権はアーティストおよび関係各社に帰属します。

  • 【歌詞解説】Creepy Nuts「Japanese」|サムライもニンジャも居ない、それでも俺たちは“日本人”

    Creepy Nutsの「Japanese」は、海外が抱く日本人像のカリカチュア(誇張表現)に対して、
    「それは違う」と言いつつも、「でも、まぁそうかもな」と揺れるリアルなアイデンティティ
    を描いた異色の楽曲です。


    🥷 海外が思う“ジャパニーズ”像へのカウンター

    No samurai, no ninja, no harakiri / But I’m Japanese
    No karate, no sensei, no kawaii / But I’m Japanese

    繰り返されるサビは、海外で“日本”といえば思い浮かべがちなイメージへのツッコミです。
    Creepy Nutsはそれらをすべて否定しつつも
    「でも、それでも俺は日本人だ」と力強く宣言します。


    🎬 ハリウッドとリアルのズレ

    超大作ハリウッド映画の Nippon 描写はホント嘘みたい

    ここでは、海外映画での日本描写に対する冷静な指摘が見られます。
    「ありがたや」「ふんどしのボディガード」など、奇抜で非現実的なイメージが世界に出回っている現状に、
    「なんだかシラけるわな」と冷めた目線で語っています。


    💥 マイクとペンが“刀”の代わり

    おさむらいでは無いけど マイクとペン使って そっと落とし前

    サムライではなくても、ラッパーとして言葉で“落とし前”をつける
    ここにCreepy Nutsが大切にしてきた「言葉の力で世界を変える」というヒップホップ精神が詰まっています。


    🍛 魔改造と文化の発明力

    とは言っても俺らの味付け文化も相当やりたい放題
    カレーライスにラーメンカツ丼 レオパルドンまで発想無限大

    ここでは一転して、日本人自身が他国の文化を自由に解釈・再構築してきた歴史を振り返ります。
    それは「魔改造」とも言える大胆さであり、同時に柔軟で創造的な日本カルチャーの強みでもあります。

    New York の deli で頼んだパニーニ ついつい選んだテリヤキ
    “Teriyaki, are you Japanese?”

    このような何気ない日常のエピソードからも、アイデンティティの複雑さと笑いがにじみます。


    🎌 “日本人”の多様性を肯定する

    相撲レスラー (No!) small asian
    とーちゃんヤバい (But) こーわくない (Yes) ちゃぶ台返し(やさしい)

    「日本人=〇〇」という固定観念はもう通用しない。
    小さな枠には収まらない、多様な日本人の在り方をユーモアで肯定しています。


    📝 まとめ|“らしさ”の外でこそ、日本人である

    「Japanese」は、
    **“日本人とは何か”**という問いに対して、

    • ステレオタイプを否定しながら
    • ユーモアと愛情で受け入れ
    • そして**「それでも、俺は日本人」と誇る**

    そんなCreepy Nutsのスタンスが詰まった、
    アイデンティティ・アンセムです。

    サムライもニンジャも要らない。
    俺たちは、俺たちなりの“Japanese”。


    📝 引用

    ※本記事はCreepy Nuts『Japanese』(Sony Music Labels, 2024年)の歌詞を参考に構成された解説記事です。
    歌詞・音源の著作権はアーティストおよび関係各社に帰属します。

  • 【歌詞解説】Creepy Nuts「ビリケン」|運にすがらず、足の裏で地に立つヒップホップ

    Creepy Nutsの「ビリケン」は、**大阪・通天閣で有名な“ビリケンさん”**をモチーフにしながら、
    彼ら自身の人生観やラッパーとしての覚悟をラップで表現した楽曲です。

    一見ポップで軽快なビートとは裏腹に、
    歌詞には**「運に頼らず、自分の足で立つ」という強烈な意志**が込められています。


    ■ ビリケン=幸運の象徴…でも“触ったら願いが叶う”だけじゃない

    “ビリケンさん”は、通天閣に鎮座する**「足の裏を触ると幸運が訪れる」**とされる神様。
    この象徴を、Creepy Nutsは次のようにラップします:

    幸運の神様 足の裏に御利益があるってことは
    俺のこの足元が 何かの役に立つってことやろ?

    ここには、“人に運を与える側”としての自覚と、
    自らの人生を“神頼み”で終わらせない姿勢が垣間見えます。


    ■ 「幸運の神様」という皮肉と反骨

    ビリケンみたく笑ってるけど その実ただの置物
    触られてもなーんも感じひん
    むしろ痒いねん

    この部分では、偶像化されることへの違和感や、表面的な期待への皮肉が強く表現されています。

    自分を“ありがたがる”人たちに対して、「俺はただの人間やで」と言い切るCreepy Nuts。
    それでも、

    願いを叶えるのはアンタの仕事や

    と、リスナー自身に行動を促す構成になっています。


    ■ 信じるのは“努力”より“続けること”

    努力は報われるって誰が決めた?
    続けりゃ何かになるって何の保証?

    これまで多くの経験と苦労を重ねてきたCreepy Nutsだからこそ、
    この疑問は“リアル”に響きます。

    しかし、ここで否定して終わらないのが彼らの真骨頂。
    「保証なんてなくても、やるしかない」という泥臭い信念が、逆説的に背中を押してくれます。


    ■ 足元を見つめて、地に立つことの強さ

    タイトルにある“ビリケン”は、ただのユーモアや語呂合わせではありません。
    “足の裏”というキーワードを通して、
    派手な見た目ではなく、どこにも逃げずに“足元”から人生を支えていく覚悟が表現されています。

    この足で、地に立ち、この足で道を進む。
    誰に願われなくても、誰かの願いになる。
    それがこの曲の本質です。


    📝 まとめ|“幸運の神様”は、自分の中にいる

    「ビリケン」は、Creepy Nutsがこれまでのキャリアと実感を詰め込んだ
    自己肯定と行動のラップアンセムです。

    願うのではなく、動く。
    崇められるのではなく、響かせる。

    ビリケンのように笑いながら、泥だらけの足で音楽を続けることの強さが、ここにあります。


    📝 引用

    ※本記事はCreepy Nuts『ビリケン』(Sony Music Labels, 2024年)の歌詞を参考に構成された解説記事です。
    歌詞・音源の著作権はアーティストおよび関係各社に帰属します。

  • 🎤 Lyric Interpretation: Creepy Nuts – “Chuugaku 22-nensei”

    Still in Middle School, 22 Years Later

    “Chuugaku 22-nensei” translates literally to “22nd year of middle school.”
    It’s a playful, self-aware title from Creepy Nuts—a duo that has built their brand on never truly “growing up” in the conventional sense.

    This track is a sequel to their earlier song “Chuugaku 12-nensei”, and continues their tradition of turning personal history into sharp, hilarious, and surprisingly heartfelt storytelling.


    🧢 Rap, S〇x, and Self-Parody in the First Verse

    No cap, hair flying around
    No fap? Still can’t do that, but I’m never short on women

    The opening bars hit hard with irony and bravado, poking fun at hip-hop tropes while embracing them at the same time.

    Even if the goddess of hip-hop hates me,
    I’m loved by the goddess of rap.

    Here, the distinction between “hip-hop” as a culture and “rap” as an art form is made clear.
    Creepy Nuts is unapologetically themselves, even if that makes them outsiders in their own genre.


    📚 A Failing Grade in Music, A #1 on Billboard

    Music grade: F
    But Billboard No. 1—that’s my life.

    This contrast is at the core of the track:
    Society says you’re failing, but your passion says you’re winning.

    They mock the rigid system of schooling and show how their unconventional path led to real success.

    Paid off that 35-year mortgage.
    Just kidding—it’s my parents’ house.

    Even at their most successful, they never stop clowning themselves.


    🧑‍🎤 From 14 to Billboard to the World

    Started from a 14-year-old’s “What do I want to be?”
    Ten years later, making money (Dungeon)
    Twenty years later, world-famous (Bling)

    These lines trace their trajectory from adolescence to international acclaim, referencing major milestones like Freestyle Dungeon and Bling-Bang-Bang-Born.

    If this were a manga script, it’d be rejected—
    Too predictable.

    Their story is so “by the book” that it feels fictional. But they really lived it. That’s the point.


    🥊 Conflict and Maturity

    I don’t wanna beef.
    Boxers don’t punch civilians.

    A standout moment: Creepy Nuts has had their share of battles, but now they’d rather avoid pointless conflict.

    Want a better diss?
    I’ll ghostwrite for you—for free.

    Cocky? Yes. Funny? Definitely. But also confident in a very grounded way.


    🌏 From Taiwan to LA, But Always a Middle Schooler

    Taiwan, LA
    Korea, New York
    Experience and miles piling up
    Next: your country

    Despite international tours and massive exposure, they haven’t lost their “middle school humor.”
    They treat world stages like a classroom field trip—and that’s what makes them relatable.


    🎢 The Final Bars: Theme Park Wisdom

    New verse—self-portrait.
    Let’s hit up Universal Studios on the weekend.

    This ending feels silly, but in context, it’s perfect.
    Even after fame, money, and pressure—they just want to enjoy life like kids again.

    They’re not pretending to be bigger than they are. They’ve simply stayed real.


    📝 Summary

    “Chuugaku 22-nensei” is Creepy Nuts’ self-portrait in rap form.
    It’s nostalgic, self-deprecating, and packed with pride—without ever sounding preachy.

    Their message is clear:

    We’re still middle schoolers at heart, and that’s why we’re winning.


    🔖 Reference

    This article interprets lyrics from Creepy Nuts’ “中学22年生” (2024, Sony Music Labels).
    All rights belong to the artist and their respective rights holders.

  • 【歌詞解説】Creepy Nuts「中学22年生」|変わらないままで進化する、自画像のような1曲

    Creepy Nutsの「中学22年生」は、
    そのタイトル通り、「中学生マインドのまま22年生きてきた」自分たちを描いたセルフ・ドキュメンタリー的楽曲です。

    過去曲「中学12年生」の続編ともいえる本作では、
    人生の節目や重ねたキャリアを“変わらない自分たちの視点”から描き直すという、唯一無二の表現が展開されます。


    🎙️ 冒頭の”ノリ”に込めた自己肯定と笑い

    No Cap 髪振り乱して
    ノーマークから大本命
    No Fap とか未だに無理やけど
    女には困って無いall day

    冒頭から、R-指定らしい自虐×ハッタリ×韻の応酬。
    「No Fap(禁欲)」すら冗談交じりに放ちつつ、
    HIPHOPの持つセルフボースト(自己賛美)文化と、日本的な笑いが融合しています。

    HIPHOPの女神に嫌われても
    俺、RAPの女神に愛されてる

    このラインには、型破りなやり方でも、結果を出せば道は開けるという強烈な信念がにじみます。


    📚 成績1の音楽少年がビルボード1位へ

    音楽の成績1やけど
    ビルボードで1位を獲る人生

    学校では落ちこぼれでも、人生の本番では勝者に。
    この逆転劇は、「中学22年生」という発想とあいまって、人生のリアルと皮肉が見事に交差しています。

    奨学金は借金で
    住宅ローンは35年(実家!)
    一括でpayしてやったぜ

    この「地に足ついた現実」と「あり得ない成功」が混ざるテンションは、
    Creepy Nutsの魅力そのものと言えるでしょう。


    🔁 14歳の衝動をそのままに、世界へ

    14歳のハローワークyeah
    10年後に食え出して(ダンジョン)
    20年後に世界中で(Bling)

    テレビ番組「フリースタイルダンジョン」でのブレイク、
    「Bling-Bang-Bang-Born」での世界的ヒットを振り返りながらも、
    その始まりは“14歳の衝動”だったことを絶対に忘れない姿勢が描かれています。

    漫画のプロットならボツなってる
    あまりにもベタ過ぎて(ないない)

    人生がドラマチックすぎて“嘘みたい”だと語るラインは、
    リアルに生きたからこそ言える言葉です。


    ✍️ ディスへの向き合い方にも、成熟がにじむ

    俺できればビーフはやりたくねー
    ボクサー一般人殴らへん

    これまでも数々のディスや論争の的になってきたR-指定。
    そのうえで「できれば争いたくない」というスタンスは、
    単なる強がりではなく、**成熟した“戦わない強さ”**に見えます。

    お前より俺を上手くdisれる
    ゴーストライターやったろか無料で

    この痛烈なラインも、ユーモアと余裕の塊です。


    🌍 世界に飛び回る“中学生”

    台湾から次LA
    KoreaからNYへ
    経験値とマイルが貯まってく
    次はお前の国へ

    ワールドツアーを重ねる中でも、根底には「中学ノリ」が流れている。
    “大人になったようで、なりきれていない”、そんなギャップがCreepy Nutsの真骨頂です。


    🎡 最後の一節にも、飾らない日常

    New Verseをこしらえて(自画像)
    週末はUSJ行こうぜ
    中学22年生

    ステージでの新曲も、自分の似顔絵のようなもの。
    そんな自己認識を持ちながら、週末はUSJで遊ぶ。
    このラストにこそ、**Creepy Nutsという存在の“リアル”と“等身大”**が凝縮されています。


    📝 まとめ|変わらず進む、青春の延長戦

    「中学22年生」は、人生の荒波を越えてきたCreepy Nutsが、
    なおも「自分たちのスタンス」を信じ続ける姿勢を描いたセルフ・ポートレートです。

    • 売れても
    • 年を重ねても
    • 世界に出ても

    “中学ノリ”は失わない。
    だからこそ、彼らの音楽は笑えて泣けて、胸を打つのです。


    📝 引用

    ※本記事はCreepy Nuts『中学22年生』(Sony Music Labels, 2024年)の歌詞を参考に構成された解説記事です。
    著作権はアーティストおよび関係各社に帰属します。

  • Lyric Interpretation: Creepy Nuts – “通常回 (Tsujo-kai)”

    Everyday Is the Grand Finale

    Creepy Nuts’ “通常回”—which translates roughly to “normal episode”—is a track that turns the mundane into the magnificent.
    At its heart, this song is a tribute to the idea that even life’s “regular” days can be the most intense, emotional, and meaningful.


    🔁 “Everyday feels like a climax”

    The song opens and repeats the line:

    “Every day’s a climax, like the final episode—it’s just a regular day.”

    The repetition serves as a mantra.
    Creepy Nuts is reminding us that there are no ordinary days when you’re living with full intensity.

    “Ten seconds before going on, my palms are sweaty.”

    That line captures the constant pressure of performing, being present, and living purposefully—every single day.


    🧒 A Life Changed by One Song

    In the first verse, R-指定 reflects on the moment that music changed his life:

    “My life changed that day I randomly walked into a gyudon shop.
    A song on the store radio made me run straight to the CD rental shop.”

    This snapshot of his teenage years is vivid and deeply personal.
    It shows how a single moment of inspiration can spark a lifetime journey.

    “Thanks to those superstars, I lost it at 14.”

    The verse is nostalgic, but also grateful. His love for hip-hop wasn’t just a phase—it became a mission.


    ⚰️ Love, Loss, and Life On Stage

    This song doesn’t shy away from loss:

    “I left my grandmother’s funeral and went straight to live radio.”
    “After a show in Okayama, I went to see my friend in a coffin.”

    Despite experiencing real grief, Creepy Nuts continues to perform.
    It’s not cold-heartedness—it’s their belief in pushing forward, even in pain.

    Their message is clear:
    You don’t wait for a “special day” to give it your all.
    Every day deserves your fullest self.


    🌏 Whether in Tokyo or LA, the show goes on

    Later in the song, the lyrics reference their travels:

    “Taiwan night market, Venice Beach in LA,
    New York, Seoul, Hong Kong—it’s all a regular day.”

    Despite the globe-trotting, the attitude remains the same.
    Wherever they go, it’s still “tsujo-kai.”
    It’s not about the location—it’s about the commitment to their craft.

    “Even at the Tokyo Dome, it’s just a normal day.”


    🎤 A Rapper, Not a Preacher

    “Ain’t no pop star, ain’t no preacher—
    I’m just a rapper who wants to stay on the beat.”

    This line defines Creepy Nuts’ philosophy:
    They’re not trying to convert or impress.
    They just want to exist authentically in their music.


    📝 Summary

    “通常回” is a powerful declaration that life itself is worthy of a standing ovation—even on “normal days.”
    Through snapshots of grief, joy, chaos, and stage lights, Creepy Nuts paints a portrait of what it means to live fully, without holding anything back.

    Their message?
    Show up. Give it your all. Even on a Monday.


    🔖 Reference

    This article interprets lyrics from Creepy Nuts’ song “通常回” (2024, Sony Music Labels).
    All rights belong to the artist and respective copyright holders.

  • 【歌詞解説】Creepy Nuts「通常回」|“いつも通り”が、最高にドラマチック

    Creepy Nutsの「通常回」は、
    何気ない毎日が、実は人生のクライマックスだった――
    そんな感覚を丁寧にラップで描き出した一曲です。

    タイトルの「通常回」は、アニメやドラマで使われる「非特別回」を指す言葉ですが、
    この楽曲ではそれが真逆の意味で繰り返されます。
    それは「毎日がクライマックスで、最終回みたいに全力だ」という、Creepy Nutsらしい生き方そのものです。


    ■ 冒頭の繰り返しが示す“張り詰めた日常”

    毎日クライマックス最終回みたいな通常回
    手に汗を握る出番の十秒前

    このフレーズは、曲中何度も繰り返されます。
    まるで呪文のように繰り返されることで、
    緊張感のある日常=ステージに立ち続ける人生を象徴しています。

    特別な一日じゃない。でも、一日一日が本番。
    そういう気概で毎日を生きていることが、強く伝わってきます。


    ■ 音楽との出会い、狂った14歳の原点

    人生変えたんはあの日フラッと入った牛丼屋
    有線で流れた衝撃 即走った TSUTAYA
    J-rap コーナー棚にズラリ並んだスーパースター

    このパートでは、R-指定自身がJ-RAPに出会った中学生時代の記憶が描かれます。
    ふとした瞬間に音楽と出会い、人生が激変する。
    それは誰にでも起こることではないけれど、「あの日からすべてが始まった」という確信が、淡々と語られています。

    アンタらのおかげ 狂った14歳

    Creepy Nutsの原動力が、“狂気と衝動”のまま今日まで続いていることが分かる一節です。


    ■ ライブ、ラジオ、別れ――すべて“通常回”

    ばーちゃん見送ったその足で生放送オールナイト
    あのラジオみたい サラッと逝きたいかも最終回
    岡山のライブ終わって向かった尼崎
    友達の棺桶 手に残った重みが消えない

    この部分では、日常の中にある死と別れを受け入れながら、
    それでも「通常通り」に舞台に立ち、声を出し続けてきた姿勢が描かれています。

    人生にとって重大な出来事さえ、「通常回」として過ごすこと。
    それは無感動ではなく、感情を抱えたままでも前に進む強さの証明です。


    ■ 世界を飛び回っても、“やることは変わんない”

    LAの太陽 ベニスビーチ スケートパークの前
    気持ち良いこの日差し どこでも吸うとんな
    香港 New York 韓国 どこに居たって通常回
    ターンテーブルとマイク やる事は変わんない

    このパートでは、海外遠征を含む多忙な日々が語られます。
    ただし、どこにいても変わらない自分たちのスタイルを貫いている姿が印象的です。

    「海外ライブ」や「東京ドーム」も特別扱いせず、
    “いつも通りにやる”ことの価値がこの曲の核となっています。


    ■ クライマックスであり続ける理由

    Ain’t no 流行歌 ain’t no 宗教家
    ただ一人のラッパー 音の上にずっと居たい

    Creepy Nutsが求めているのは、
    流行に乗ることでも、誰かを導くことでもなく、
    「自分のスタイルで音の上にいること」そのものです。

    派手な演出や言葉はいらない。
    ただ「通常回」を積み重ねた先に、誰かの心に残るクライマックスがある――
    それが、この曲のメッセージです。


    ■ まとめ|“いつも通り”を貫くことが最高に熱い

    「通常回」は、Creepy Nutsの音楽人生そのものをラップで描いた曲です。
    それは派手な成功やバズよりも、
    積み重ねた一日一日がクライマックスだったと気づかせてくれる名曲です。

    どんな場所でも、どんな日でも、ステージの上で「いつも通り」を貫く。
    その姿勢に、多くの人が心を動かされるのではないでしょうか。


    📝 引用

    ※本記事はCreepy Nuts「通常回」(Sony Music Labels, 2024年)の歌詞を参考に構成した解説記事です。
    歌詞・音源の著作権はアーティストおよび関係各社に帰属します。