Creepy Nutsの「通常回」は、ライブ定番曲のひとつにして、R-指定の半生を凝縮した自伝的リリック。
その内容は、「日常=ドラマチック」という逆説を貫くことで、彼らの生き様と美学をストレートに描き出しています。
🎤 毎日が「最終回」みたいな「通常回」
曲のフックに繰り返されるこのライン:
毎日クライマックス 最終回みたいな 通常回
この矛盾した表現は、「普通の日々の中にも、物語の最終回のような高揚感がある」という彼らの実感を象徴しています。
一見ルーティンのような日々の中で、生と死、出会いと別れ、笑いと涙が交錯している──そんな日常こそがCreepy Nutsにとっての「通常回」なのです。
🧒 原点は14歳、牛丼屋とTSUTAYAの記憶
人生変えたんは あの日フラッと入った牛丼屋
有線で流れた衝撃 即走った TSUTAYA
ここは、R-指定がラップに出会った瞬間を描いたパート。
牛丼屋で流れたラップに衝撃を受け、すぐTSUTAYAに走ってCDを借りに行く。そんな「何気ない偶然」が彼の人生を変えたという、リアルな原風景です。
J-RAPコーナー 棚にズラリ並んだ スーパースター
アンタらのおかげ 狂った14歳
多くのリスナーが共感する、「誰かの音楽に救われた」という感覚。彼はそのままラッパーになり、憧れだった“スーパースター”たちの列に自分が加わっていきます。
🪜 苦悩と努力の坂道、家族と別れ、命の重み
吐いて捨てるバース 道標に登った急勾配
使えないあの輪っか 俺コーラで お前はウーロンハイ
ここでは、売れない頃の葛藤や仲間との日々が描かれています。
酒が飲めないR-指定はウーロンハイではなくコーラ。自分を貫く姿勢と孤独感が滲みます。
ばーちゃん見送ったその足で生放送オールナイト
あのラジオみたい サラッと逝きたいかも 最終回
「死」に対する彼の距離感も描かれます。プライベートの悲しみと、仕事の現場が地続きであるというのが、まさに“通常回”。
友達の棺桶 手に残った重みが消えない
このラインには、人生が「いつもの日々」の中で急に終わる可能性があることへの強い実感が込められています。
🤝 過ぎていく人々への敬意と感謝
全員で歌ってる 俺を通り過ぎた人達と
もう二度と会えない人達と
ここで描かれるのは、Creepy Nutsのライブに来た人、すれ違った人、もう会えない人──すべての人とのつながりです。
ラッパーとして、リリックに全てを刻み続けることで、彼らは「別れ」にも形を与えようとしているように見えます。
🌍 国内外を駆け回る今も、やることは同じ
国内から国外 飛び回る多忙な通常回
香港NY韓国 どこに居たって通常回
日本中、世界中を飛び回るようになっても、彼らの“通常回”は変わらない。
ターンテーブルとマイク やる事は変わんない
成功しても浮かれず、変わらない自分たちで在り続ける姿勢がはっきりと現れています。
🎬 ラストライン:「出番の10秒前」が示す覚悟
手に汗を握る 出番の10秒前
すべての“通常回”を経て、ステージの裏で出番を待つ一瞬に戻ってきます。
人生の積み重ねの集大成が、たった10秒の中に詰まっているというような、静かな覚悟を感じさせるラインです。
🔚 まとめ:通常回=物語の真ん中にいる証
Creepy Nuts「通常回」は、派手なドラマではなく、日常こそが一番ドラマチックだという信念に貫かれた一曲です。
- 牛丼屋から始まる人生
- 見送った人々への想い
- 家族が増える喜び
- ライブの現場で刻む記憶
これらすべてが「クライマックス」であり「通常回」でもある。
聴けば聴くほど、自分自身の“物語の真ん中”に立っていることに気づかせてくれる作品です。
🎧 あなたにとっての“通常回”は、どんな一日ですか?
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