収録された背景
「土産話」は、Creepy Nutsが2021年9月1日にリリースしたフルアルバム『Case』のラストを飾る11曲目に収録されている楽曲だ。『Case』は、2020年リリースのミニアルバム『かつて天才だった俺たちへ』から約1年ぶりとなる作品で、「バレる!」「顔役」「Who am I」「Lazy Boy」といった配信シングルに加え、新曲5曲を含む全11曲を収めたフルアルバムとして制作された。
アルバム全体のコンセプトは、迷いや悩みを抱えながらも過ごす日常のさまざまな局面と、その時々の心情を描くというものだった。多忙な日々と怠惰な気持ちの揺れを歌ったオープニングナンバー「Lazy Boy」から始まり、これまで歩んできた道のりを振り返りながら、その先へと視線を向けるラストナンバーとして「土産話」が置かれている。アルバムの冒頭と結尾でこうした呼応が意図されている点は、単なる楽曲の寄せ集めではなく、一枚のアルバムとして聴かれることを前提に構成されていたことをうかがわせる。
描かれている情景
「土産話」で綴られているのは、Creepy Nutsが売れる前、上板橋のワンルームで暮らしていた頃の記憶だ。大晦日にテレビ番組を見ながらコンビニのピザを食べ、RHYMESTERの日本武道館公演を収めたDVDを眺めながら、自分たちがいつかあの場所に立つ姿を想像していた――そんな一場面から曲は始まる。
当時は、そんな未来が本当に訪れるという実感はまるでなく、今なお実家暮らしのままなのではないかと錯覚してしまうほど、現実感の希薄な夢だったという心情が語られる。金銭的に厳しい時期に、大阪から東京のライブへ夜行バスで向かった記憶、車窓に流れていく景色――そうした地道な積み重ねの延長線上に、実際に日本武道館でライブを行うまでになった”今”が繋がっているという構成になっている。
そして楽曲の後半では、テレビ出演やラジオでの人気、CMタイアップの獲得など、売れる前には想像もできなかった現在の状況が描かれる。かつて憧れとして見上げていた景色に自分たちが立っているという事実に、あらためて実感が追いつかないほどの手応えのなさが滲む一方で、その積み重ねてきた道のりそのものが、誰かに語って聞かせたくなるような一つの「土産話」として振り返られている。
楽曲にはさらに、UMB(ULTIMATE MC BATTLE)を3連覇した後ですら、自分たちのワンマンライブが閑散としていた時期の記憶も綴られている。実力を証明してもすぐには客足に結びつかない、いわゆる”冬の時代”を経て、「フリースタイルダンジョン」への出演をきっかけに知名度が一気に広がっていった転機についても言及される。かつては振り返る余裕もないほど目まぐるしかった日々を、今なら「生業」と呼べる、という一節もあり、これはCreepy Nuts自身の楽曲「生業」を踏まえた自己言及的な表現になっている。
タイトル「土産話」に込められた意味
「土産話」という言葉は、旅先や出先での出来事を、帰ってきてから人に語って聞かせる話を指す。何かを経験してきた人間が、その経験を持ち帰り、誰かと分かち合うためのもの――というのがこの言葉の本来の意味だ。
このタイトルが持つ面白さは、上板橋のワンルームから日本武道館に至るまでの道のりそのものが、あまりにも現実離れしていて、当人たちですら「嘘みたいな本当の話」だと感じている点にある。誰かに語ったところで、話を盛っていると思われかねないほど突飛な話――それこそが最高の「土産話」なのだという逆説的な誇らしさが、このタイトルには込められていると読み取れる。
アルバムのラストにこの曲を置いたという構成そのものにも、大きな意味がある。『Case』という一枚のアルバムを、ひとつの”旅”に見立てるならば、「土産話」はその旅を終えて帰ってきた者が語る述懐にあたる。アルバムを通して描かれてきた日々の浮き沈み、迷いながらも進んできた道のりのすべてを引き受けた上で、それを聴き手に向かって語りかける――そんな役割をこの曲は担っていると考えられる。
アルバム全体における「土産話」の役割
『Case』というアルバムタイトルは「事例」「事件」「症例」などを意味する単語であり、日々のさまざまな”ケース”を切り取って描くという制作意図が込められていたと考えられる。「バレる!」のようなユーモラスな楽曲、「顔役」のようなセルフボースティング色の強い楽曲、「風来」のようなレイドバックした楽曲など、アルバムに収められた11曲はそれぞれ異なる”ケース”を映し出している。
そうした多様な”ケース”の数々を一通り経験した末に置かれているのが「土産話」だ。個々の楽曲が描いてきた日常の一場面一場面が、アルバムの終わりに向けてひとつの物語として束ねられ、「これが今回持ち帰ってきた土産話だ」という形で聴き手に差し出される。アルバムを通しで聴いたときに初めて、このラストナンバーの持つ意味の重みが増してくる構成になっている。
タイアップとしての一面
「土産話」はABC-MARTの「adidas Originals NEW CLASSICS」のWebCMにも起用されており、公開されたメイキング・インタビュー映像では、Creepy Nutsの高校時代のエピソードや、楽曲制作にまつわる話が語られている。アルバムの文脈だけでなく、こうした形でも楽曲の背景が補足されている点は、当時のリスナーがこの曲をより深く味わうための手がかりになっていた。
自曲「生業」との呼応
「土産話」の中で、目まぐるしかった日々を振り返って”生業”と呼べるようになった、という趣旨の一節があるが、これはCreepy Nuts自身の楽曲「生業」を踏まえた自己言及だ。「生業」は、R-指定がキャリアの中で初めて、自分自身を「最強」だと明確に言い切った楽曲として位置づけられており、MCバトルという実力が可視化される世界を勝ち上がってきたR-指定にとって、それまでの楽曲では自信の表明はあっても、これほど直接的な自己肯定の言葉は見られなかった。
「土産話」で改めてこの言葉に触れているのは、UMB3連覇後もなお客の入らないライブを経験し、フリースタイルダンジョンを経て知名度を得て、目まぐるしい日々を”生業”と呼べるようになるまでの過程を、あらためて振り返り直しているためだと考えられる。「生業」で示した自信の表明の背景にある道のりを、「土産話」ではより丁寧に辿り直しているという関係性が、この2曲の間には成立している。
「たりないふたり」へのオマージュという原点
Creepy Nutsのファーストアルバムのタイトルは『たりないふたり』という。これは、オードリーの若林正恭と南海キャンディーズの山里亮太によるユニット「たりないふたり」への敬意から名付けられたもので、アルバムには同名の楽曲「たりないふたり」も収録されている。彼らはこの「たりないふたり」に憧れ、そのオマージュとしてファーストアルバムを制作したという経緯があり、この試みは本家である「たりないふたり」側にも認識されるところとなった。その後、「たりないふたり」が解散ライブ「さよなら たりないふたり」を行った際には、逆に本家からCreepy Nutsへ向けたセルフオマージュ曲が贈られるという、原点への敬意が双方向に行き来する出来事があった。
「土産話」の中で、誰にも期待されていなかった自分たちを”助演”に例える一節があるが、これはCreepy Nuts自身の楽曲「助演男優賞」からの自己言及だ。「助演男優賞」は、主演にはまだなれない自分たちが、いつか主演の座を掴んでやるという野心を歌った楽曲で、当時はMステ(Mステーション)や紅白歌合戦さえも視野に入っていないという趣旨の一節があった。しかし実際には、Creepy Nutsは2020年にMステへの出演を果たし、2023年には紅白歌合戦にも出場している。かつて”まだ見ぬ景色”として歌っていた舞台に、後年本当に立つことになったという事実は、「土産話」というタイトルが持つ「嘘みたいな本当の話」というテーマとも強く共鳴している。
積み重ねてきた景色の伏線
「土産話」の中で歌われる「大きな玉ねぎの下に立ってる」という一節は、屋根の形状から通称”大きな玉ねぎ”とも呼ばれる日本武道館を指しているとされる。上板橋のワンルームでRHYMESTERの武道館DVDを眺めながら夢見ていた景色に、実際に自分たちが立っているという事実を象徴する表現だ。
さらに、ホールからアリーナへ、大晦日の「ガキの使い」を見る側から出演する側へ、そして年末の予定を空けておけば紅白に出られるかもしれないという趣旨の一節も、実際に2023年の紅白出場という形で回収されている。当時は願望や冗談交じりの一節だったものが、後から振り返ると現実として実現していたという構造も、この曲が”土産話”というタイトルにふさわしい所以と言えるだろう。
余談として、2021年当時、あるラジオ番組の同時間帯に並んでいたミュージシャンの中で、その年の紅白歌合戦に出場しなかったのはCreepy Nutsだけだったという、当時としては珍しい巡り合わせもあった。その2年後に紅白初出場を果たしたことを踏まえると、この逸話もまた、地道な積み重ねの末に景色が変わっていったことを物語る一つのエピソードだと言える。
まとめ
「土産話」というタイトルには、 – 上板橋のワンルームから日本武道館まで、現実感が追いつかないほどの道のりを歩んできたという実感 – 旅を終えて帰ってきた者が経験を語り聞かせる、という言葉本来の意味 – アルバム『Case』という一つの旅を締めくくる、ラストナンバーとしての役割
という複数の意味が重なり合っている。派手なタイアップ曲や配信シングルの陰に隠れがちな一曲だが、アルバム全体を聴き通した先にこそ、このタイトルの本当の重みが立ち上がってくる楽曲だと言えるだろう。
